産科医療補償制度の本質的論点を見失わないために

弁護士堀康司(常任理事)(2012年8月センターニュース293号情報センター日誌より)

分析不要論の不毛さ

 現在、産科医療補償制度運営委員会では、2009年1月の創設から3年を経過したことを踏まえた見直しの議論が進められています。

  先月22日には、医療制度研究会の主催で、同制度について賛成派医師と反対派医師・弁護士による公開討論会が行われましたが、原因分析不要論といった不毛な論点の討議の前に、本来議論すべき論点がかすんでしまったのは残念でした。

  同制度は、脳性麻痺児の家庭の経済的負担を補償するとともに、原因分析を行い、再発防止に役立てていくことを目的とする制度として創設されました。しかも健康保険財源から出産育児一時金を増額して捻出した資金で運営されています。この公的財源を、原因分析を行わないまま訴訟回避目的で用いることは、到底許されません。原因分析の実施は制度の根幹であり必須の要素です。不要論への反論に労力を費やすことはあまりに不毛です。

本質的な問題に焦点を

 同制度の検証を行うにあたっては、脳性麻痺発生率の変化の有無に焦点を当てるべきです。再発防止のための提言からまだ間がありませんので、この点の評価はもう暫く時間を要することでしょう。それまでの間には、訴訟の増減に一喜一憂するのではなく、より本質的な点について検証を進める必要があります。

事実抽出の適正性の確認

 分娩事故では、観察や記録の不備が原因でカルテから事実を特定できないことが少なくありません。その場合、産婦側が認識する情報がより重要となります。しかし、産婦側が、専門家の手を借りずに、情報を十分に整理して過不足なく同制度事務局に伝えることは容易ではありません(ここに弁護士が患者・家族の代理人として関与する意義があるはずです)。

  事実に関する情報が正確に抽出されていなければ、どれだけ専門家が適切に評価を試みようとしても、正しい結論は得られません。事務局が整理した事実経過に対して、産婦の側が適切に加筆修正を求めることができているかどうかについては、実証的な検討を加えるべき時期に来ていると思います。

報告書の科学性・論理性の検証

 報告書は診療経過に対する医学的評価を説明する資料です。同制度の枠外で法的責任の有無が判断される際に、報告書が一定の影響力を持つことはありえますが、この影響力を生じないように報告書を作成しようとすれば、医学的評価とは何ら無縁の要素や価値判断が混入することになり、報告書の医学的評価の論理性が歪むおそれがあります。

  報告書が裁判で決定的な影響を持つのでは?という不安は、「裁判所が報告書の形式的権威性の前に思考停止に至るのではないか」という不信感に由来するものです。それゆえ、この問題を解決するには、裁判官が思考停止せずに報告書の中身の科学性・論理性を評価するように、司法制度の側を改善していくことが必要です。報告書の体裁や表現を「工夫」して解決しようとすることは、事の本質を見誤ることにつながります。

  同制度が検証すべきは、報告書が事後の責任追及に結びつくかどうかという点ではありません。報告書において科学的・論理的な医学的評価が行われているか、そして医学的評価に必要のない観点からの「配慮」が加えられていないかという視点から、検証が進められるべきです。

各則と権利擁護の手続

 同制度は、健康保険財政から捻出した年間300億円という財源を、分娩時脳性麻痺という極めて限られた領域に投入するものです。運営の効率性に対する厳しい評価が不可欠です。

  現状では多額の余剰金が保険会社の収益となる可能性が指摘されています。1)当初の脳性麻痺発症率見積もりは適正だったか、2)余剰額に相応するリスクを保険会社が取ったと評価できるか、3)保険会社に支払われる運営経費は国営とした場合よりもローコストと言えるのかといった点について、実証的な数値に照らして厳密に分析を加える必要があります。

  なお、上記公開討論会では、有責事例で同制度が求償を行えば、余剰金が増えて保険会社の収益が増えるだけとの指摘がありましたが、求償しなければ賠償責任保険を運営する保険会社に公的資金による収益がもたらされることが見過ごされています。

早期の実現に向けて

 分析不要論という不毛な問題提起のために、上記のような重要な問題について議論が深まらないことは大変に不幸です。本質的な議論を深められる場を取り戻せるよう、患者側からも積極的に働きかけていく必要があります。