調査された医師が114人死亡?~正確な情報による建設的な議論を

弁護士堀康司(常任理事)(臨時寄稿)

事故調施行検討会に当センター意見書を提出

 昨年の医療法の改正に基づき、本年10月から、医療法に基づく医療事故調査制度の運用がスタートします。現在、厚労省には「医療事故調査制度の施行に係る検討会」が設置され、同制度の具体的な運用の方向性(省令・通知等の内容)に関する議論が進められています。

 本年2月5日には、同検討会の第5回会合が開催されました。この会合には、加藤良夫構成員(弁護士・医療事故情報センター常任理事)より、医療事故情報センター作成の「医療事故調査制度の施行に係る意見書」が資料として提出されました。同制度の運用が、当センターの意見書で指摘したように、患者・被害者の視点を大切にした形でスタートすることを願ってやみません。

大磯義一郎構成員の意見書に引用されたデータの原資料について

 ところで、上記会合には、大磯義一郎構成員(浜松医科大学医学部教授・医療法学)が、意見書を資料として提出しています(以下、大磯意見書)。

 

 この意見書では、冒頭に、

 

「イギリスにおいて、2005年~13年の間に、GMC(医事委員会)から診療行為の適切性に関する調査を受けていた医師114人が死亡しています。」

 

と書かれています。

 この意見書が提出された文脈からすると、イギリスでは、医療事故調査を受けている医師がうつ病等に陥って114人も死亡しているのだろうか?、との驚きを感じましたので、この情報の原典にあたってみようと考えましたが、大磯意見書では、この情報の原資料の出典が明記されていませんでした。

 そこで「GMC death 114」というようなキーワードで検索をかけてみたところ、2014年12月19日にGMCが次のレポート(以下、GMCレポート)を発表していることがわかりました。

Doctors who commit suicide while under GMC fitness to practise investigations


なお、GMCレポート発表時のプレスリリースは下記のとおりです。

 

Press Release 19 Dec 2014

GMC to review its treatment of vulnerable doctors under fitness to practise investigation

GMCレポートの内容

 GMCレポートを読んでみて、私なりに要点を整理してみました。

  • ある医師が自分の健康状態を適切に管理しておらず、そのことが患者の安全にとってのリスクと判断される場合、GMCは、その医師の健康状態の評価を指示することとなっている。
    • Where a doctor is not managing his or her health adequately and it is judged that there is a risk to patient safety, the GMC will normally order an assessment of the doctor’s health.(GMCレポートp4)
  • この調査は、The GMC fitness to practise investigation と呼ばれている(和訳するならば「GMC臨床適応健康調査」というような表現となるのでしょうか)。
  • 具体的には、GMCは、2名の医師に、その医師の健康状態を評価させ、その結果を踏まえて、その医師に対し、助言する、警告する、診療を制限する、MPTSにヒアリングの実施を付託する (その後資格停止等の判断が下ることがある)という対応を実施する(もちろん、評価結果を踏まえて何もしないこともある)。
  • 2005年から2013年の9年間に、The GMC fitness to practise investigationが行われていた医師のうち、114名が死亡した。
  • 114名中、28名が自殺またはその疑いによる死亡であった(24名が自殺、4名がその疑い)。なお、調査期間中の年間の自殺者(疑いを含む)は1~9名の間を推移している。
  • 28名のうち、20名の医師が健康問題を抱えていた。そのうち8名がアルコール関連疾患、7人が抑うつ症状、4人が双極性うつ症状、2人が薬物濫用であった(うち7名は複数の病名の診断を受けていた)。
  • GMCは、この28名の事例を分析することにより、The GMC fitness to practise investigation がより適切に実施されるような方策を検討するとともに、こうした医師に対する国によるサポートシステム創設の必要性を提言した。

 GMCレポートは、イギリスにおいて、医師の不適切な健康状態が患者の安全を脅かす問題であると認識されていることを紹介しています。そして、イギリスでは、様々な情報に基づいて医師が臨床に適しない健康状態にあることを疑った場合には、その医師の健康状態を評価する手順があらかじめ定められており、健康状態の評価結果を踏まえて、その医師に対して助言や警告、診療制限等の対応を取ることによって、安全な医療を実現しようとしているようです。

 GMCレポートからは、医師の健康状態の調査の過程で悲劇的な結果を招いてしまった実例を調査した上で、The GMC fitness to practise investigation という手続をより適正に運営すべく、改善の努力を重ねているということも知る事が出来ました。

GMCレポートの内容を正確に踏まえた議論を

 以上からすると、 The GMC fitness to practise investigation を一言で紹介するのであれば、「診療行為の適切性に関する調査」というよりは、「臨床を担当するには不適当な健康状態が疑われた医師の調査」と要約するのが正確であろうと思われます。

 そもそも、GMCレポートは、114名の死亡事例のうち、自殺またはその疑いのある28例以外の86例については、特段の分析を加えておらず、これら86例については、死亡時の年齢や死因、既往症の有無等に関する詳細な情報を掲げていません。

 大磯意見書の冒頭の一文は、情報の出典を明らかにしないまま、あたかも医療事故調査が114人の自殺者を招いたかのような印象を読者に与えるものであり、極めて不適切です。

GMCレポートから学ぶべき点は何か~リープ教授の指摘する”performance problem”への取り組み

 GMCレポートの28事例の中には、医療事故を契機として、関与した医師の健康状態が不良であることが疑われた事案も含まれている可能性はありますが、様々な情報から、健康状態に問題のある医師を把握することによって、患者の安全を確保するとともに、その医師に対して早期のサポートを提供することは、医療安全管理上の必須の取り組みであろうと思われます。

 大磯意見書に引用される2005年のWHOドラフトガイドラインの主著者であるルシアン・リープ教授( Harvard School of Public Health )も、2006年に「問題の医師たち」(Problem doctors)という少々ショッキングなタイトルの論文を発表し、医療安全の実現のためには「個々の医師の資質等に関する問題」(”performance problem”)が存在することを認識する必要があり、個々の医療機関による努力に加えて、国レベルでの対応が必要であることを指摘しています。

Problem doctors: is there a system-level solution?

Lucian L. Leape, MD; and John A. Fromson, MD

Ann Intern Med. 2006 Jan 17;144(2):107-15.

  • Physician performance failures are not rare and pose substantial threats to patient welfare and safety. Few hospitals respond to such failures promptly or effectively. (中略) This is a task well beyond the capacities of individual hospitals; a national effort is required.(アブストラクトより引用)

 リープ教授の上記指摘に照らしても、イギリスにおける The GMC fitness to practise investigation という仕組みは、臨床に従事することが不適切な健康状態の医師への対応策として、1つのあるべき方向性を示していると思います。そしてGMCレポートに掲げられているとおり、GMCが過去の事例をふりかえりつつ、この制度のより適切な運用に向けた努力を重ねていることは、制度運営主体としてのあるべき姿を示すものと感じました。

 ひるがえって、日本では、行政処分制度が十分に機能せず、刑事処分の後追いが精一杯となっており、システムとして対応する方法が欠けているため、こうした問題への対応は事実上、個別医療機関任せとなっています。こうした体制で患者の安全を実現することは困難ですし、健康状態に問題を抱えた個別の医師への早期のサポートを実現することもできません。

 日本で新しくスタートする医療事故調査制度の運用を考える上では、リープ教授が指摘する ”performance problem”からも目を背けることなく、医療安全の実現に向けた建設的な議論を重ねる必要があります。そしてそのことが、臨床従事に適さない健康状態となってしまった個々の医師を孤立させず、早期にサポートしていくことにもつながっていくはずです。

有効回答率8.3%のネットアンケートから意味のある結論を導くことは可能なのか?

 さて、大磯意見書は、冒頭の一文に続いて、「これを受けて研究されたBMJ Open 2015年1月15日オンライン版に掲載された、イギリスの医師7,926人を対象とした横断調査」を引用し、過去6ヶ月以内にクレームを抱えた医師は、クレームがない医師に比べ中等度~重度の抑うつ症状の相対リスク(RR)が1.77に上昇していたと結論付けられていること等を引用しています。

 大磯意見書では、このRRの95%信頼区間が1.61-2.13であると紹介されています。そこで私は、イギリスにおいて、7926人の医師を無作為抽出して追跡調査を行ったのだろうと思い、どうやってそのような大規模調査が速やかに実現したのか、強い興味を感じました。

 そこで文献を読んで見ましたが、残念ながらこの調査は、英国医師会(BMA)の9万5636人の会員医師に対し、ネット上のシステムを利用したアンケートへの回答を呼びかけるという方法で実施されており、得られた有効回答7926件を分析して結論を導いたものであることがわかりました(有効回答率を計算すると約8.3%)。

 この調査を、「イギリスの医師7,926人を対象とした横断調査」と紹介するのは不正確であり、「イギリス医師会会員9万5635人に呼びかけて集められた7,926件のアンケート回答結果」と表現するのが適切であろうと思います。

 この大磯意見書に引用されたネットアンケートの結果を理解する上で、そもそも標本調査はどのように行われるものなのかを調べてみたところ、総務省統計局に次のような資料がありましたので、少し長くなりますが引用しておきます。

 

総務省統計局「統計学習の指導のために(先生向け)」補助教材
標本調査とは?~調査のしくみと設計~

 

  ===以下引用===

「無作為抽出」=「でたらめ」ではない

では、単に「でたらめ」に調査対象を選んだ場合には、どんな問題があるのでしょうか。

ここで一つの事例を考えてみましょう。ある町で、住民を対象に標本調査を行うとします。「でたらめ」に調査対象を選ぶために、簡単な方法として、その町の 一番大きな駅の前に立って、通行する人に誰でもかまわず無作為に(でたらめに)声をかけて、調査してみたとしましょう。

この方法は、無作為抽出法となっているでしょうか。

この方法は、次のような理由から、これは無作為抽出法となりません。

駅前を歩いている人は、町の住民すべてを代表しているとは限りません。住民の中には、その駅を使わない人もいるでしょう。また、調査をしている時間帯に、 住民すべてが駅前を歩いているわけではないので、ほかの時間帯にしか出歩かない人は調査されません。さらに、忙しい人は、呼びかけても立ち止まって調査に 協力してくれないかも知れませんので、立ち止まって協力してくれる人は、時間に余裕のある人だけかも知れません。

つまり、この方法で調査に回答してくれる人たちは、その町の住民全体の中から選ばれたというよりは、むしろ、その町の住民のうちで、その駅を利用する人 で、かつ、調査の時間帯に駅前を歩いていて、さらに、立ち止まって答えてくれた人、ということになります。したがって、調査に協力してくれる人は、町の住民の中でも、上述のような特定の特徴を持った人たちと考えられます。そのような人たちが、その町の実態を反映した縮図になっているとは言えません

したがって、このような方法で統計調査を行っても、その結果が何を意味するのか、わからないものとなってしまいます

 ===以上引用(赤字は本稿筆者による)===

 

 大磯意見書に引用された調査では無作為抽出法が用いられていませんので、統計局の上記の解説を見る限り「その結果が何を意味するのか、わからないものとなってしまう」はずです。

 このように、ネットアンケート結果から、統計的に有意な結果を得ることは不可能ですので、これ以上の検討は困難と考えられます。それゆえ、以下は蛇足となるかもしれませんが、私のつたない英語読解力では、上記のBMAのアンケート調査文献から、次の点を読み取ることができませんでした。

  • 「6ヶ月以内にクレームを受けた医師」群の中に、抑うつ症状等の既往を持つ医師がどのくらいの割合で含まれているのか
  • クレームを受けた時点と抑うつ症状等を発症した時点の先後関係(クレームを受けて抑うつ状態となったのか、抑うつ状態で診療をしてクレームを受けたのか)を、どのように確認したのか

  また、このアンケート調査結果では、「現在も過去も苦情のない医師」群1780人の中に、中等度から重度の抑うつ症状のある医師が約1割(169人)含まれているとされ ています(table2)。この調査の有効回答が母集団の性質を正しく示すものであるなら、英国の医師の10人に1人が中等度から重度の抑うつ症状にあるということになり ますので、本当に母集団である英国医師会員の心身の状態がそれほどにも悪いのだろうか?という疑問が残りました。

 いずれにしても、無作為抽出法が採用されていないアンケート調査結果によって、こうした疑問を統計学的に解消することは難しいだろうと思います。

客観性のある建設的な議論を

 厚労省の上記検討会において客観性を欠く残念な議論が認められることについては、すでに一度情報センター日誌で言及したことがありますが、新しい医療事故調査制度の運営をよい形でスタートするためには、まず何よりもまず、客観性のある情報を踏まえた上で、建設的な議論を重ねていく必要があるはずです。こうしたあたりまえのことについて再度言及せざるを得ない現状を、大変に残念に感じています。

 今後の検討会の場においては、正確な情報に基づく疑問の残らないフェアな議論が繰り広げられることを、心から期待したいと思います。